ニーズ高き「学童保育」。「Sensin NAVI NO.338」

ニーズ高き「学童保育」。「Sensin NAVI NO.338」

  • 2020.06.14
  • 児童福祉
  • Posted by | sensin
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皆様こんにちは、ブロガーのMるでございます。

今回お届けするSensin NAVIですが、「レッスンその338」となります。

 

 

 

 

 

・・・今回のお題は!ニーズ高き「学童保育」をお送りします!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「学童保育ね・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新型コロナウイルスの影響で、小中学校などが休校になる中、

働く子育て世代の受け入れ先として活躍したのが、この学童保育だ!」

「今や福祉分野における重要な事業であることには変わりなし!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとです。保育園や幼稚園もそうですが、小学生の放課後における生活支援には、もはや欠かせない事業であることに違いありません。ちなみにこの学童保育ですが、正式名称を放課後児童健全育成事業と言います・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少しばかり知識を得た程度で語りよって・・、ふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K子①

「同じ通いを目的した事業なんだから、あんたも学びなさいよ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはあいつにまかせておけばいい・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは!「Sensin NAVI NO.338」をお送りします。

 

 

 

・・・さて、皆様は学童保育をご存じでしょうか。

とりわけ新型コロナウイルスの話題にて、小学校や中学校の閉校を受けてクローズアップされた事業でもあります。

小中学校が閉校せざるを得ない中、働く共働き世代への支援として、とかく注目された事業でもあります。

保育園同様、その運用の是非が示される中、各学童保育は地域にて展開していきます。市町村によってその運営母体や考え方に差異があるのしても、ここ最近のコロナウイルスの状況化において、その役割や機能は非常に大きなものであったと思います。

 

 

 

 

 

 

そんな学童保育について、過去を遡りながら紹介していきたいと思います。

この学童保育の必要性は昭和初期から論じられたもので、特に戦時中は、父親が戦地に行ったために母親が働かなければならなくなった家庭のためという位置づけの施策があったそう、さらには戦後は、1948年に大阪の今川学園がセツルメント活動(社会福祉事業)として学童保育を行ったのが始まりといわれています。

なお、東京墨田区にある興望館は戦前からのセツルメント活動や保育活動をやりながら、戦後すぐに小学校にあがった子どもも一緒に見ていて、1956年にはそこの『青少年クラブ』が児童厚生施設の認可を受けています。

 

この学童保育ですが、全国的に広まるきっかけになったのは、昭和30年代後半からと言われています。ちょうど高度経済成長期で、産業構造が変わり、働く方が増えた時期。

保育の必要性が著明となったこの時代。

 

全国的に保育の整備が進む一方、

「ポストの数ほど保育所を」

という言葉が生まれたのもまさにこの頃なわけ。

 

 

そんな中で、やはり保育所を卒園した後の子どもの保育の必要性が求められていきます。つまりは小学生を対象とした保育事業、それが学童保育なわけです。「かぎっ子」という言葉が使われはじめたのもこの時期で、そうしたニーズに応えるべき事業こそ、この学童保育ということ。

 

 

 

 

 

さて、この学童保育ですが、先述でもふれたように、最初に国が政策をつくったのは1963年(昭和38年)です。

 

 

「小学校3年生までの児童で、家庭環境や交友環境、地域環境に問題があり、サポートする必要がある子どもを集団的に児童館のなかで面倒を見るというもの」

 

当時の国の施策は非行対策という色合いの強いものだったといわれています。

 

 

 

 

 

 

1966年(昭和41年)には文部省が「留守家庭児童会」として、学校の余裕教室を使って、放課後5時くらいまで子どもを見るという授業を始めています。

しかしながら様々な諸事情にて開始早々に頓挫してしまっています。やはりその事由として、ニーズがあまりにも多すぎたこと。予想以上のニーズに対応しきれなかったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中で、1976年には『都市児童健全育成事業』を国が始めます。これは今の学童保育の前身といえるもので、昼間保護者が働いている家庭の子どもの面倒をボランティアが見るという体系でした。こうした活動はいわゆる地域活動の位置づけで、もちろん全国展開できるレベルではありませんでした。ですが、こうした活動に対する補助金などの支援が生まれたのもこの頃です。

このように当初は、ボランティア活動を中心にした地域福祉だったわけです。

 

 

 

 

こうした活動は、特に共働きが著明に増加していた都市部を中心に考えられていましたが、やはりそうはいきません。

90年代に突入すると、共働きの加速と同時に、少子化の問題もクローズアップされていきます。もはや都市部における事業にとどまらず、日本全国でその事業の在り方や役割が求められていくようになります。

 

 

 

その対策として誕生したのが今日の学童保育であり、法律として含まれるようになったのは1997年となります。

児童福祉法の改正を経て、ようやくこの学童保育が『放課後児童健全育成事業(放課後児童クラブ)』として法制化されたわけです。

 

 

 

 

 

学童保育と一般的に呼ばれますが、正式名称は「放課後児童健全育成事業」と言います。

この事業はその後、人員や設備等細かな法制度が整備されていきます。

運営補助金なるもので事業の補填を行う一方で、地域によってはこの事業を担う学童支援員の数の問題やその処遇など、様々な問題が指摘されています。

 

 

 

 

 

令和元年10月に施行された、幼児教育・保育無償化の影響にて、さらにその事業の利用に係るニーズは増すものとされています。しかしながら、現状の学童保育の大半は、小学校の空き教室を利用したもの、利用母体が保護者によるものなど、運営に係る様々な問題が最近浮き彫りになっているそう。

学童支援員の配置には、一定の研修を修了した者が求められます。

一方で保護者会を母体とした運営であるからこそ、そのような支援員の担保が難しいのも事実。最近では民間事業が参入している実績も多いですが、まだまだ全国的には課題が多いのがこの学童保育の実情のようです。

 

 

 

 

ですが、今後も学童保育の需要は高まるもの。働き方改革によるさらなる需要に対し、国は今後どう考えていくのか。

学童保育そのものの考え方だけでなく、その事業を担う学童支援員の在り方や処遇を含めた今後に、これからも着目していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上!ニーズ高き「学童保育」をお送りしました。

それではまた。

 

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